そもそも 水木れいじの詞の才能を
最初に発見したのは女優の渥美マリでした。

1972年の秋、大学生の水木れいじの書いた
『太陽の瞳』という詞を読んだ女優渥美マリは
「この詞に曲をつけてもらってレコーディングしようかしら・・・」
と思ったと言います。
渥美マリは大東学園高等部2年のとき、大映19期
ニューフェイスに合格。1967年『ガメラ対宇宙怪獣
バイラス』でデビュー。翌1968年『ある女子高医の記録
・妊娠』に出演し一躍脚光を浴びました。
1969年、初主演『いそぎんちゃく』で人気が沸騰し、
各男性誌は競って彼女のチャームショットを掲載した
ものです。次いで『でんきくらげ』『しびれくらげ』など
一連の奇妙なタイトルの作品に主演。どこかあどけなさの
残るチャーミングな表情と、大胆、かつ奔放なヌードシーンで
男性ファンを魅了し、当時の大映のドル箱スターでした。
18才の渥美マリ
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彼女の母の渥美友季子も叉、元大映の女優(若宮れい子)
でしたが、京都産業大学の学生だった水木れいじに
「マリがあなたは詞の才能があるって、言ってるから、
次のお休みに東京へいらっしゃいよ」と声をかけたそう
です。希望に胸をふくらませ1973年2月に水木れいじは
東京目黒の渥美邸へと上京します。そこで、渥美マリは
水木れいじに「作詞を一生の職業にするったって、
いきなりそれで生活が出来るという訳にはゆかないし・・
若いんだからいろいろな事に挑戦なさいよ!まずは
歌から」と作曲家いずみたく先生のオールスタッフ
プロダクションへ歌のレッスンに通わせ始めました。
こういう場所で撮るのが当時の流行でした
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この時の水木れいじのオールスタッフでの同期生は、俳優、関口宏の弟、佐野守。俳優、安井昌次、
小田切みきの愛娘で“チャコちゃんシリーズ”の人気子役だった四方晴美。そして女優、淡路恵子の
長男の小川晃一郎の3人でした。が、この時の4人の生徒たちは、
いわゆる“七光り組”で揃いもそろって、貪欲さやハングリー精神
などみじんも持ち合わせてなく、歌で大成するどころか、デビュー
さえもままならなかった4人達であったということです。
こんな水木れいじの青春時代の1ページを知る人もいて、
元歌手?元俳優?などと聞かれる事が多いそうですが、
ホントのところはこのレポートのとおりです。
取材していて、わかった面白いことですが、当時、渥美マリは、
目黒の実家から独立して赤坂でマンション暮らしをしてました、
そこへその頃大映レコードで仕事をしていた作曲家の曽根幸明先生
や編曲家の池田孝春先生(当時、池田孝)たちがよくマージャンで
集まってたそうです。ジャン卓のまわりでギターを爪弾いたり
歌ってたお稚児さんみたいな大学生が、のちの水木れいじと知って
両先生はびっくりしたそうです。 
煙草を吸ってたなんて信じられない!
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当時のことを水木さんに聞いてみました。

『あの頃は見るもの聞くもの楽しくて、歌のレッスンどころではなかった。
役者さんも歌手の人達も、モデルさん達も、なんだかとても輝いていて、
みんなスター然としていたような気がするなァ・・・。
ちょうど、ボクが歌のレッスンに行かされてた頃、マリちゃんが、赤坂から
三田の“メゾン・ド・聖坂”に引っ越したんだけど、隣の部屋が、新婚の
林ゆたか(ヴィレッジ・シンガーズ)奈美悦子夫妻で、そこも楽しかったし、
マリちゃんはマリちゃんで東映で千葉真一さんや谷隼人さんと
『ボディーガード・牙』とか『非情学園・ワル』とかって映画撮ってたから、
ホント、歌のレッスンとか発声練習するより撮影所にくっついて行って
遊んでるほうがよっぽど楽しい毎日だったなァ。
あとで同期生だった小川君が島英津夫として『海は知らない』で
歌手デビューしたけど、そのレコードと一緒にあの頃の夢のような芸能界で
過ごした大学時代の思い出はボクの大切な宝物だよ!』

と瞳を輝かせながら話してくれました。

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